十河安則画伯による極楽寺廃寺の推定復元図

さぬき最古級の寺跡や出土品を紹介します

Last Update 2017/11/19

石井廃寺 さぬき市指定史跡

出土遺物はさぬき市歴史民俗資料館所蔵だが礎石は現地にあります。

石井廃寺の礎石の写真 奈良石川寺軒丸瓦・藤原京式軒丸瓦の写真

廃寺は、中世の山城で広く知られている雨滝山から西へ延びた低丘陵に立地していた。
町営春日温泉からは西へ約300mで、現在塔の心礎が残されているほか、付近に古瓦が散在していることなどから、寺院ががつてこの地に存在していたことがわかる。

寺名が伝わっていないため、字名をとって石井廃寺と呼ばれている。
塔の心礎は直径2m、短径1.15m、高さ53Cmの大きな石を用い、上面中央には直径68Cm、深さ13Cmの彫り込みをもっている。
この礎石から推察すると、一寺一塔の式の飛鳥様式の寺院で、立派な多重の塔が建立されていたことと考えられる。

建物の配置や規模は不明であるが、奈良石川寺軒丸瓦、藤原京式軒丸瓦など美しい文様の瓦が採集されているほか、大棟の両端につけた蓮華文鴟尾も出土している。

このように塔の心礎や瓦の文様から、寺の創建は白鳳時代(7世紀後半)で、豪族の氏寺であったと考えられ、県下を代表する最古の寺院の一つである。

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平成18年3月25日出版 さぬき市の文化財 No 8 に掲載 『石井廃寺について』を読む

同掲載 『石井廃寺跡の図面』を見る

極楽寺(寒川)廃寺

十河安則画伯による極楽寺廃寺の推定復元図

十河安則画伯による極楽寺廃寺の推定復元図 軒平瓦・軒丸瓦写真

昭和44年(1969)、加藤地区南部の圃場整備に伴う発掘調査によって、白鳳時代(649~710)前期の寺が発掘された。
瓦葺の屋根や塀などが倒れたままで発見され、大規模で旧寒川郡の中心であったことがしのばれる。

伽藍配置は、礎石から裏づけられているように四天王寺式で、講堂、金堂、塔が一直線に並び、それに回廊がある。

極楽寺跡からは重弧文の軒平瓦や、やや粗い布目のついた平瓦、周縁に鋸歯文帯や珠文帯をもつ単弁蓮華文の軒丸瓦など多く出土している。(さぬき市歴史民俗資料館所蔵

また同場所で明治時代に錫杖と銅鏡も出土している。
錫杖は日光輪王寺にあるものと同形式で、正倉院の鉄錫杖とも近似しているところから、奈良時代に製作されたものと推定され、銅鏡は瑞花双鳳文八花鏡で、奈良の興福寺出土のものと同形同質のものである。錫杖と銅鏡は長尾町の宝蔵院に寺宝として所蔵されている。

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