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日時 平成19年5月19日(土)

さぬき市古墳勉強会

火山石の伝承、採石場所の検討

1. なぜ火山石を調査するか。

  1. 津田湾古墳群の解明のため
  2. 火山石は古代〜中世を通じて東讃の歴史を解明する上で重要であるから。

2. 津田湾古墳群とは

   

大川町富田茶臼山古墳・・・・四国最大の前方後円墳(全長139m)
                 古墳時代中期前半(5世紀前半)の古墳
        ⇒当時の讃岐或はさらに広い地域を束ねていた王は大川町にいた?
         なぜ、この地域に王が君臨したか?
        ⇒富田茶臼山古墳の調査はもちろんであるが、前後の時代の様子を見ていく必要がある。
富田茶臼山の前の時代、4世紀前半は讃岐にはたくさんの前方後円墳が造られるが、 4世紀の後半になると一部の地域を除いて前方後円墳が見られなくなる。
その一部の地域とは、・・・
高松市三谷の三谷石船塚古墳、高松市香西の今岡古墳、丸亀市綾歌の快天山古墳など
これらの古墳はそれぞれ離れた地域に単独であるのに対して、一箇所に固まって複数 古墳がある特殊な地域・・・それが津田湾の古墳群
岩崎山4古墳、けぼ山古墳、赤山古墳、北羽立古墳

           

津田湾の古墳群の特徴

  1. 海運、停泊、水産を背景に君臨した首長墓
  2. 南海産貝の入手などから海を通じた広域な交易が想像される。
  3. 周辺地域を結集した広い政治基盤をもった王。
  4. 畿内の古墳との共通性が強い。これは富田茶臼山古墳へとつながる重要な要素
  5. 火山石の石棺を使用。 ⇒火山石石工集団を掌握していた。石棺を通じた他地域の王との関係

3. 調査の方法

  1. 聞き取り調査‥‥伝聞、伝承、地名(白粉谷、細工谷、石槌など)
  2. 文献調査‥‥古写真、古文献(讃岐名勝図絵など)、寺伝、古絵図など
  3. 踏査‥‥現地を歩いて石切の跡や未製品があるか調べる
白コ山図(讃岐名勝図絵)

白コ山(讃岐名勝図絵)

4. 火山石の歴史

  

古墳時代

 

 4世紀後半‥‥刳抜式石棺を製作

古墳時代中期・後期は火山石の製品なし

 

古代前期(飛鳥〜奈良時代)

   寺院の基壇に火山石を使用  石棺製作時から300年の歳月が経つ
    讃岐開法寺跡(坂出市)、賞田廃寺(岡山県)、幡多廃寺(岡山県)、阿波国分寺(徳島県)
   

古代後期(平安時代前期)

   善通寺境内層塔残欠(善通寺市)‥‥奈良時代〜平安時代前期の製作と推定
   樋殿谷古墓(ひどのだにこぼ)‥‥古墳時代石棺の系譜を引く石櫃(いしびつ)
 

古代後期(平安時代後期)

(文献に記載された事例)‥‥火山石とは限らない
鳥羽離宮‥‥白河上皇が譲位と同時に京都の南、鳥羽に造営した離宮。鳥羽上皇も入居。
        高階泰仲を讃岐守に任命し鳥羽離宮の造営を行わせる。この時陶の瓦を使用。
      ⇒石も使用した可能性あり。
  興福寺基壇‥‥讃岐の国に興福寺の壇に用いる石を運上させる(1099年)
勝光明院造営‥‥礎石と池の石を讃岐石から取りよせる。
(製品)
西教寺磨崖仏(平安後期)
安楽寿院阿弥陀三尊石仏(平安後期)
    安楽寿院‥‥1137年鳥羽上皇が鳥羽離宮内に造営。
谷出土経塚外容器(平安後期)
志度寺海女の墓経幢(平安後期?)
神恵院宝塔(観音寺市) (平安後期?)

中世(鎌倉時代〜南北朝時代)‥‥供養塔が各地で造立
崇徳上皇前層塔(1240年頃)

 

1270年以降は筒野石幢(1270年頃)を皮切りに多くの石造物が見られる。
筒野石幢、谷の石幢、神明さんの笠塔婆(1336年)、川東五輪塔(現在さぬき市歴史民俗資料館)、鎌倉塚(三木町)、西教寺六面石幢(1372・1376年)など

県外

中世(室町時代〜戦国時代)

 各地に広がっていた火山石は東讃と徳島県のみに広がる。
    下り松六地蔵石幢(1401年)、極楽寺住職墓、愛染院(徳島)など

近世(江戸時代)

 石造物の生産は終焉し、石造物は豊島石にとって変わる。

 

近代

 火山東面で採石

5. 火山石石像物

火山石石像物

6. 火山石採石場所

火山石採石場所

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