日時 平成18年10月14日(土)
さぬき市古墳勉強会第1回見学会
見学地
兵庫県五色塚古墳
昭和15年頃発掘されたと云われており、また、勾玉、鉄刀、鏡、七尺位の人骨が出土したと伝えられていますが、遺物は現存していません。
全長57mの前方後円墳で同じ津田地区の岩崎山4号墳と大きさは似ています。墳頂部には縄掛突起のついた石室蓋石がありますが、蓋石に縄掛突起をつけるのは珍しく、奈良県佐紀陵山古墳(日葉酢姫陵)、屋敷山古墳、宮山古墳に類例があります。この蓋石の下には竪穴式石室があると云われ、さらにその中に家形をした刳抜式石棺があると云われています。
遺物は埴輪片が採集されており、さぬき市歴史民俗資料館にはここから出土した壷形埴輪が展示しています。
学術調査はまだされたことがなく、不明な点が多い古墳ですが、現在のところ富田茶臼山古墳と時期的には一番近いと指摘されており、香川県の古墳時代を語る上で将来的には欠かせない古墳になると思われます。
左紀稜山古墳竪穴式石室復元図
直径25m程の円墳です。
二十四輩さんを祀る時に発見されたと云われており、明治時代に盗掘にあいました。その時、朱に染まった人骨とその傍らに五寸ばかりの鏡な直刀があったといいますが、遺物は現存しません。
これまで埋葬施設は箱式石棺と云われており、あまり注目されてきませんでしたが、昨年度初めて発掘調査が行なわれ、埋葬施設から刳抜式石棺を確認し、重要な古墳であることが判明しました。
刳抜式石棺はこれまで讃岐では前方後円墳のみに見られ、円墳で確認されたのは初めてでした。
ただ、円墳だからといって刳抜式石棺の価値が下がったのではなく、一つ山古墳は円墳ですが、径25mもあり、前方後円墳の後円墳と大きさは同じであることから、古墳に葬られている人はやはり、この地域の権力者であったと考えられます。
一つ山古墳は大和から来た使者が讃岐で最初に目にする古墳です。昨年の調査では壷形埴輪が出土していますが、今年の調査でさらに古墳の性格が明らかになってくるものと思われます。
今は道路や宅地によって古墳は小さくなり、円墳のように見えますが、元々は全長50m近い前方後円墳でした。墳頂部には今2基の刳抜式石棺が見られますが、古い記録にはもう1基土の中に埋まっているとあります。
大正14年この石棺は盗掘にあい、たくさんの副葬品が失われました。今のそのいくつかが現存しています。五色台の瀬戸内海歴史民俗資料館に鏡、石釧(いしくしろ)などが保管されています。
今年、この古墳の調査を実施しました。古墳の形や大きさ、埴輪の特徴、石棺の特徴などさまざまなことが明らかになっています。成果はまた発表する予定です。楽しみにしていてください。
径23〜27mの前方後円墳です。大きさは前方後円墳の後円部とほぼ同じであり、一つ山古墳と同じく円墳ですが、前方後円墳に葬られている人と同等の権力をもった人物が葬られていると考えられます。
墳頂部には南北方向に向いた長い竪穴式石室があります。全長は5.9mで、3人は縦に入ることができます。家形埴輪や円筒埴輪が採集されており、津田地区の古墳の中では新しい古墳、富田茶臼山古墳の造られる少し前のものと考えられています。墳丘にはところどころに葺石がみられます。
海に面した岬にあります。明治時代に発掘されたと云われていますが詳しいことはわかりません。墳丘上には葺石が散乱しており、祠の北側は葺石を再利用して石列をこしらえています。祠の中にはご神体として安山岩が見られますが、埋葬施設の一部である可能性があります。この古墳も調査はされておらず時代など詳しいことはわかりません。
弁天社の裏側にあります。明治時代に発掘され、人骨が出土したと云われています。墳頂部には石仏とその下に箱式石棺の石材が一部露出しています。遺物も発見されておらず、詳しいことはわかりません。
津田地区の古墳はほとんどが古墳時代前期という点に特徴があります。
また、さぬき市市内の古墳時代前期の古墳の中では大きな古墳が集中している地域でもあります。その多くには刳抜式石棺が棺として用いられており、この地域が古墳時代前期に盛んであったことが伺えます。
このように津田地区で古墳時代前期に古墳が盛んに造られた背景には海との関わりがあり、海を通じて大和や九州などさまざまな地域との交流があったものと思われます。
それは、津田地区の古墳が大和・河内など畿内との古墳との共通点が指摘されていたり、津田地区で製作された石棺が備前や河内、阿波に運ばれていることからも知ることができます。
こうした津田地区の古墳も古墳時代中期になると突然古墳がなくなってしまいます。まさにその時、山を挟んだ南に
富田茶臼山古墳が登場するのです。津田地区の古墳は富田茶臼山が造られるまでのストーリを描く上で欠くことのできないものといえます。
番号 | 名称 | 立地 | 墳形 | 規模 | 外表施設 | 埋葬施設 | 埋葬主体 | 主軸方向 | 副装品 | |
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葺石 | 埴輪 | |||||||||
1 | 吉見稲荷山古墳 | 丘陵頂部 | 円 | ○ | 箱式石棺? | |||||
2 | 吉見弁天山古墳 | 丘陵突端頂部 | 円 | 箱式石棺 | ||||||
3 | 北羽立峠古墳 | 丘陵突端斜面 | 前方後円 | 約42 | ○ | 箱式石棺 | 南北 | 四神四獣鏡 鉄剣 | ||
4 | 中峠古墳 | 丘陵稜線 | 円 | 〜8 | ○ | |||||
5 | 宮奥古墳 | 丘陵突端斜面 | 円 | 〜12 | 横穴式石室 | |||||
6 | 龍王山古墳 | 丘陵突端頂部 | 円 | 〜28 | ○ | 円筒埴輪片? | 竪穴式石槨 | U字底木棺 | 南北 | 倣製内行花文鏡 鉄鏡・鉄刀・鉄鏃 ヤリガンナ |
7 | 岩崎山1号墳 | 丘陵頂部 | 円 | 14 | 箱式石棺(東棺) | 北北西 | 鉄剣・鉄刀 斧・鑿 滑石製品 貝製品 | |||
箱式石棺(西棺) | 北北西 | 甲冑・鉄刀 滑石製品 貝製品 | ||||||||
8 | 岩崎山2号墳 | 丘陵稜線 | 箱式石棺? | |||||||
9 | 岩崎山3号墳 | 丘陵頂部 | 円 | |||||||
10 | 岩崎山5号 | 丘陵稜線鞍部 | 箱式石棺 | N−81゜ −W | 倣製内行花文鏡 刀子・ヤス 碧玉製菅玉 ガラス製小玉 | |||||
11 | 岩崎山4号 | 丘陵稜線 | 前方後円 | 58 | ○ | 円筒埴輪 家形埴輪 人物埴輪 | 竪穴式石槨 | 凝灰岩製 刳抜式石棺 | 北東ー南西 | 斜縁二神四獣鏡 重層式 四神四獣鏡 鉄製武器 農耕具多数 石釧 イモガイ製腕輪 碧玉製・硬玉製 装身具多数 |
12 | 野牛古墳 | 丘陵突端頂部 | 箱式石棺 | 北東ー南西 | 倣製珠文鏡(布) ヤス・針状鉄器 碧玉製菅玉 瑪瑙・翡翠製 勾玉・臼玉 | |||||
13 | 泉聖天古墳 | 丘陵突端頂部 | 箱式石棺 | 北西ー南東 | 鎌・ヤリガンナ・櫛 | |||||
14 | 赤山古墳 | 丘陵突端頂部 | 前方後円 | 〜50 | ○? | 円筒埴輪片? | 竪穴式石槨 | 凝灰岩製刳抜式石棺? | 変形神獣鏡 方格規矩鏡 碧玉製菅玉 ガラス小玉・石釧 | |
凝灰岩製 刳抜式石棺 (南側1号) | 南北 | |||||||||
凝灰岩製 刳抜式石棺 (東側2号) | 東西 | |||||||||
15 | 鵜の部山古 | 丘陵突端頂部 | 前方後円 | 竪穴式石槨? | ||||||
16 | けぼ山古墳 | 丘陵突端頂部 | 前方後円 | 約57 | ○? | 円筒埴輪片? | 竪穴式石槨 天井石に 縄掛突起 | 凝灰岩製 刳抜式石棺? | 鏡?・刀?・勾玉? | |
17 | 一つ山古墳 | 独立丘陵頂部 | 円 | 鏡?・刀? |