日時 平成25年2月16日(土)
さぬき市古墳勉強会第24回見学会
平成12年(2000)に発掘調査が実施されました。
大代古墳実測図
鳴門市教育委員会 2011
標高41〜47mの尾根上に築かれた前方後円墳です。四国横断自動車道建設のために発掘調査され、重要な古墳であることが判明し現地保存されました。
全長約54mの二段築成で前方部を平野側に向けています。後円部先端と前方部先端に自然地形から墳丘を区画する溝が掘削されています。古墳の形は前方部先端が開かない柄鏡形をしています。岩崎山4号墳も前方部が柄鏡形をした形です。
大代古墳の埋葬施設にお供えされた副葬品として武具(長方板革綴短甲)は古墳時代中期鉄製甲冑の最初の特徴を持っています。また、管玉・臼玉には滑石製が見られます。これらから古墳築造の時期は古墳時代中期になる直前、4世紀末と考えられます。
また、埴輪の形からもこの頃が想定されます。埴輪は円筒埴輪・家形埴輪・盾形埴輪か出土しています。円筒埴輪は墳丘を巡っていました。間隔は90㎝おきで、二段のテラスに全周していたとすれば約350本の円筒埴輪が使われていたことになります。
大代古墳火山石製刳抜式石棺
大代古墳
竪穴式石室内からは刳抜式石棺が発見されました。この石棺はさぬき市津田町火山の凝灰岩が使用されていました。石棺の形からは岩崎山4号墳よりも新しく、岡山県の鶴山丸山古墳と同じ頃に位置付けられます。
埋葬施設である竪穴式石室は結晶片岩の板石が使用されていました。結晶片岩を用いた竪穴式石室は畿内地域にもいくつか見られますが、それらは徳島産の可能性が指摘されています。特に大阪府久米田貝吹山古墳は火山石の刳抜式石棺が使用されていることで知られていますが、竪穴式石室の石材は結晶片岩が使用されています。つまり、大代古墳と竪穴式石室と刳抜式石棺の石材が共通するのです。大代古墳の被葬者は津田湾岸、大阪湾岸の勢力と密接な関係を有していたと考えられます。
徳島県教育委員会他2005「大代古墳」『四国横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告』
鳴門市教育委員会2011『天河別古墳群発掘調査報告書』
宝幢寺古墳復元図
鳴門市教育委員会2011
昭和46年(1971)に徳島県博物館が、平成16年(2004)に徳島県教育委員会が測量調査を実施し、翌平成17年(2005)に鳴門市教育委員会によって確認調査が実施されました。
2基の墓があります。萩原1号墓は昭和54〜55年(1979〜1980)に県道バイパス工事のために発掘調査され現在は消滅しています。萩原2号墓は1号墓の上方にあり、平成16〜19年(2004〜2007)に徳島県教育委員会によって発掘調査されました。
萩原1号墓
鳴門市教育委員会2011
萩原2号墓
鳴門市教育委員会2011
尾根上に築かれた積石墳丘墓です。萩原1号墓は直径18mの円丘部に長さ8.5mの突出部を山側に向けています。萩原2号墓は直径21.2mの円丘部に長さ5.6mの突出部を平野側に向けています。古墳時代の積石塚に比べると墳丘の高さが低いのが特徴で、萩原1号墓は円丘部中央の高さがわ ずか約0.8mです。
埋葬施設の上には砂岩円礫と多量の白色円礫が見られ、讃岐産の土器がお供えされていました。築造時期は弥生時代終末期が考えられ、萩原2号墓⇒萩原1号墓の順番で築造されました。 埋葬施設は2基ともに積石木槨構造をしています。畿内地域大和のホケノ山古墳や香川県石塚山2号墳の埋葬施設との関連が指摘されています。
萩原1号墓から出土した土器
鳴門市教育委員会2011
築造の順番は4号・5号⇒1号⇒2号⇒3号で、4・5・1・2号墳が古墳時代前期前半、3号墳が古墳時代前期後半になります。天河別神社古墳群は古墳時代前期前半に円墳、古墳時代前期後半になって前方後円墳が築造されました。
直径25mの二段築成の円墳です。埋葬施設は結晶片岩を石積した内法5.08mの竪穴式石室で鉄剣・鉄斧・鉄製柄・刀子・珠文鏡の副葬品が判明しています。埴輪はなく土師器壺片が出土しています。
直径26mの二段築成の円墳です。埋葬施設は結晶片岩を石積した竪穴式石室です。埴輪はなく、広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土しています。
全長41mに復元される全長41mの二段築成の前方後円墳です。前方部は直線的に柄鏡形になります。前方部や後円部の墳頂平坦面には砂岩小礫による礫敷きが見られます。墳丘からは土師器の二重口縁壺が見つかっています。
墳形は明確ではありませんが、径20〜25mの円墳もしくは前方後円墳の可能性もあります。埋葬施設はほとんど消滅していますが、粘土の混ざった礫敷きの埋葬施設下部構造が確認されています。副葬品と考えられる遺物として鉄剣・鉄槍・鉄鏃・銅鏡片(斜縁二神二獣鏡)かあります。
直径20mの円墳であったようですが、土取りによって破壊されてしまいました。副葬品として過去の盗掘で直刀・勾玉・管玉・銅鏡(斜縁獣帯鏡、平縁獣帯鏡)が出土しています。
<参考文献>
鳴門市教育委員会2011『天河別神社古墳群発掘調査報告書』
天河別神社古墳群配置図
鳴門市大麻町古墳群配置図
鳴門市教育委員会2011
鳴門市教育委員会2011