日時 平成24年7月14日(土)
さぬき市古墳勉強会第22回見学会
墳丘測量図
高松工芸高校郷土史研究会
「三谷石舟古墳測量調査報告書」1992から
墳形は前方後円墳です。全長は近年、測量調査などによって88m或いは95.7mが指摘されています。88mとすると県内で4番目、95.7mとすると県内で3番目の大きさになります。いずれにせよ、この地域の大きな権力を持った首長墓であることには変わりありません。
昭和15年(1940)に刊行された『木田郡史』によると、古墳からはかつて埴輪・須恵器・勾玉・切小玉が出土したと伝えられていますが、出土品は現存しないため時代を断定することは難しい状態です。後円部の頂部にある刳抜式石棺の特徴から古墳時代前期後半から中期前半頃が可能性として考えられています。
古墳の形は前方部が曲線を描いて先端に広がる「バチ形」をしています。バチ形の前方後円墳は古い時代の前方後円墳に多く、当例はやや新しい時期にバチ形を採用した前方後円墳として評価できます。同じ頃の古墳として津田町けぼ山古墳や大川町富田茶臼山古墳がありますが、この2古墳はバチ形にはなっておらず、前方部は直線的に先端に広がります。在地的特徴を持つ三谷石舟古墳と、非在地的特徴を持つけほ山古墳、富田茶臼山古墳として位置づけることが出来るかもしれません。古墳時代前期後半以降でバチ形を採用した前方後円墳として他に高松市横立山経塚古墳があります。
次に墳丘の裾部に注目すると、三谷石舟古墳はおおよそ水平に基底部を揃えられています。讃岐では尾根上の斜面に前方後円墳を造営することが多い中で特徴的だといえますが、同じような構造は津田湾古墳群でもしばしば見ることができます。
三谷石舟古墳の墳丘について詳しくまとめた本として次の冊子を紹介します。
高松工芸高校郷土史研究会 1992『三谷石舟古墳測量調査報告書』
蔵本晋司 1995「香川県高松市三谷石舟古墳の再検討」『香川考古』第4号
三谷石舟古墳刳抜式石棺断面図
北山峰生2006「磨臼山古墳石棺をめぐる一試行」
『香川考古』第10号 から
後円部の頂上に1基の刳抜式石棺の棺身があります。後円部中央には盗掘による攪乱があり、石棺周辺には塊石が散乱しており、破砕された棺蓋の可能性があります。このように古墳は激しい盗掘に遭っている可能性があります。 刳抜式石棺は高松市国分寺町鷲ノ山の角閃安山岩が使用されています。いわゆる鷲の山石です。鷲の山石で製作された刳抜式石棺は善通寺市磨臼山古墳(現在、善通寺市市民会館ロビーにて展示)、高松市石清尾山石船塚古墳、高松市浅野小学校、高松市国分寺町石舟天神社で見学することができます。また、大阪府安福寺でも玉手山古墳群から出土したと伝えられる刳抜式石棺を見ることができます。 三谷石舟古墳の刳抜式石棺の特徴は①頭部から足部にかけて刳抜部の幅が狭くなっている、②棺身の断面形が方形に近い形態になっている、③側面に突帯が施されている、④刳抜部の隅部は方形になっている、点にあり、渡部明夫氏は鷲ノ山石石棺群の中で一番新しい段階に位置づけています。 他に頭部には石枕が作られています。 各部の規模は以下のとおりです。 現在の全長は3m、幅は頭側76㎝・足側70㎝です。足側に縄掛突起が残存しています。
墳頂部の刳抜式石棺
石枕(いしまくら)
香川県高松市三谷町
須恵器窖窯推定模式図
『大阪府立弥生文化博物館
平成5年夏季企画展図録』から
三谷三郎池西岸窯跡
『香川県古代窯業遺跡分布調査報告書Ⅱ』1985から
昭和58年(1983)、香川県教育委員会によって発掘調査が行われました。
窯跡は残存長5m、最大幅2.15m、床面の傾斜は15°の登窯です。焼き上がりの良くない須恵器を棄てた灰原(はいばら)は1層のみでした。
出土遺物は大半が大型の甕の破片で、時代は5世紀前半頃のものです。香川県下では最古の窯跡になります。
三谷三郎池の窯跡の位置
高松市『平石上2号墳・石舟池古墳群』2007から
三谷三郎池には遺物の採集できる地点があり、
それがA〜D地区のトーンのある地点になります。
弥生時代中期、古墳時代中期、古墳時代後期
の集落がこれら谷部に広がっていた可能性を
示唆するものです。
三谷三郎池西岸窯跡からの出土遺物
(『香川県古代窯業遺跡分布調査報告書Ⅱ』1985から)
横穴式石室の入口
高松平野南部地域最大規模の横穴式石室です。南に開口し、残存している石室の全長は9.5mです。石室石材は主として花崗岩の巨石が使用されており、玄室長3.8m、玄室最大幅は2.64mの両袖式です。出土遺物に須恵器があり、6世紀後半から7世紀の後期古墳であることが分かります。
周辺には平石上古墳群、加摩羅神社古墳、雨山南古墳群、中山田古墳群など横穴式石室をもつ古墳が知られていますが、大規模な群集墳が見られないのがこの地域の特徴です。
矢野面古墳横穴式石室実測図 S=1/100
濱田重人「高松市三谷町矢野面古墳測量調査報告」『香川考古』第6号 1997から
瘤山1号墳測量図 『香川考古』第10号 2006から
別名小日山1号墳と呼ばれています。尾根上にあります。全長約31mの前方後円墳で後円部に塊石を積んだ竪穴式石室が東西方位で露出しています。副葬品は不明で詳細な年代は不明ですが、前期古墳が指摘されています。1号墳から東の尾根頂部に径16mの円墳である瘤山2号墳があります。
三谷地区は前期前半の瘤山1号墳、前期後半〜中期前半の三谷石舟古墳、中期後半の高野丸山古墳、後期の矢野面古墳及びその他、に見るように各時代の古墳が見られますが、古墳の築造は連綿とした系統を辿ることはできません。