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日時 平成24年6月16日(土)

さぬき市古墳勉強会第21回見学会

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愛媛県今治市の古墳

妙見山1号墳

妙見山1号墳全景

古墳の場所


斎灘や安芸の島々を眺望できる
高縄半島西部に標高約80mの
尾根の頂部にあります。



発見の経緯


 今治市在住の芝田幸光氏によって発見され、昭和42年(1966)に測量調査が実施され、前方後円墳であることが明らかとなりました。
その後、愛媛大学考古学研究室を中心にして、1990〜1994年の8次にわたる調査が実施されています。
古墳は平成8年(1996)に整備され、報告書は平成20年(2008)に刊行されました。
同年11月22日には「西部瀬戸内の初期前方後円墳を探る」と題してシンポジウムが開催されました。



古墳の大きさと形の特徴


1号墳測量図

墳丘測量図(S=1/800)

 全長56m、後円部径約39m、前方部幅33mの前方後円墳です。
前方部を東に向けた古墳です。
形は前方部が短いのが特徴です。
墳丘は2段築成になっています。
墳丘の構築はほとんどが地山削り出しによって行われていますが、後円部北側の一部や南側くびれ部、前方部前面に墳丘裾部は盛土が行われています。
斜面の盛土部分は20〜30㎝の間隔で杭が打ち込まれ、その中に土を突き固める工法が用いられています。
葺石は墳丘裾部と二段目の墳丘立ち上がり部に鉢巻状に見られます。


埋葬施設


 後円部で1号竪穴式石室、前方部で2号竪穴式石室が発見されました。
また、後円部南側で2基、前方部前面で1基の箱式石棺が発見されています。
1号石室はほぼ東西に向き、頭は西側になっています。
長さ6.65mの粘土床の上に刳抜式木棺が安置されています。
石室は長さ6.7m、幅1.1mで石室は塊石を小口積しています。
2号石棺も東西に向いて頭は西側になっています。
同じく粘土床の上に刳抜式木棺が安置されています。
石室は1号石室よりも小さく、長さ3.7m、幅約0.8mで石室は円礫や角礫の塊石を小口積しています。
なお、1・2号石室からは排水溝が延びて合流し、くびれ部から墳丘外に至っています。


副葬品


 1号竪穴式石室からは径16〜18㎝の銅鏡の痕跡が粘土床西寄りで確認された他、鉄剣、鉄斧、刀子、ヤリガンナ、土器片が出土しました。
2号石室からは斜縁獣帯鏡、若干の鉄器類が出土しました。


 

埴輪


二重口縁壺

二重口縁壺(s=1/6)

直口壺

直口壺(1/6)

くびれ部を中心にして、多量の壺形土器と器台形土器が出土しており、墳頂部に置かれていた   ものが転落したものと考えられます。
壺形埴輪は焼成前に底部に孔を穿った二重口縁壺(にじゅうこうえんつぼ)です。



伊予型特殊器台

伊予型特殊器台

伊予型特殊器台

伊予型特殊器台
(S=1/6)

 器台は断面三角形の突帯によって数段に区分され、上下両端部がスカート状に開く形をしています。
外面は綾杉文(あやすぎもん)や弧帯文(こたいもん)の文様が描かれ、三角形、長方形、小円などの透孔(すかしあな)があり、巴形の透孔もあります。
外面は赤色顔料が塗られています。
下條信行氏は松山平野など西部瀬戸内の弥生時代後期後半以降に流行する地元の大型器台に起源をもって、古墳時代になってその中に埴輪的要素が取り入れられたものとして評価しています。
そして、「伊予型特殊器台」と命名されました。


今治平野の古墳

唐子台墳墓群の展開図

唐子台墳墓群の展開図

 頓田川沿いの丘陵上に見られる唐子台墳墓群は弥生時代終末期から古墳時代前期後半にかけて展開します。
出現期は不定形な墳丘に木棺墓と土器棺墓が複数見られ特定家族墓が考えられます。
古墳時代前期になると雉之尾1号墳、治平谷7号墳、唐子台第16丘が造営され、特定個人墓になります。
続く国分古墳は墳形が前方後円墳になり、舶載鏡2面が副葬されます。
その後は、円筒埴輪・朝顔形埴輪の見られる久保山古墳が造営され、これが唐子台古墳群最後の前方後円墳になります。



相の谷1号墳(s=1/800)

相の谷1号墳(s=1/800)

 今治平野北部には相の谷古墳群があります。出現期は相の谷9号墓です。
墳形はよくわかりませんが、方墳の可能性が強く、墳丘には複数の土壙墓があります。築造時期は弥生時代終末期頃になります。 次の相の谷1号墳は前方後円墳で愛媛県最大規模になります。全長80.78m、後円部径50.28m、前方部幅44mで、墳丘は2段築成で、地山整形によって構築しています。埴輪は1段目、2段目の平坦部に円筒埴輪、壺形埴輪を樹立していました。埋葬施設は後円部頂部に長さ7.1mの竪穴式石室が墳丘の主軸上で検出されています。石室内からは土師器片、銅鏡2、鉄剣、鉄刀、板状鉄斧1、袋状鉄斧2、ノミ、ヤリガンナが出土しています。 相の谷1号墳の後に相の谷2号墳が築造されました。古墳時代前期後半です。そして、古墳時代中期になると前方後円墳は築造されなくなります。



今治東部沿岸の古墳の分布図


今治東部沿岸の古墳の分布図



今治関連参考資料

相の谷1号墳出土壺形土器図

相の谷1号墳出土壺形土器

香川県善通寺市野田院古墳出土壺形土器図

野田院古墳出土壺形土器
香川県善通寺市

愛媛県松山市朝日谷古墳出土壺形土器図図

朝日谷古墳出土壺形土器
愛媛県松山市

香川県さぬき市丸井古墳出土壺形土器

丸井古墳出土壺形土器
香川県さぬき市

奈良県桜井市箸墓古墳出土壺形土器図

箸墓古墳出土壺形土器
奈良県桜井市

熊本県天水小塚古墳図

天水小塚古墳
熊本県



特殊器台 岡山県向木見型図

特殊器台
 岡山県向木見型

奈良県箸墓古墳 図

奈良県箸墓古墳 

熊本県免田式土器図

免田式土器
熊本県



香川県高松市高松茶臼山古墳図

高松茶臼山古墳
香川県高松市

香川県さぬき市松岡氏裏山土器棺図

松岡氏裏山土器棺
香川県さぬき市

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伊予の古墳編年

伊予の前方後円墳編年表

伊予の前方後円墳編年



讃岐東部地域主要古墳編年表2(東部)



愛媛県の古墳分布図

愛媛県の古墳分布図

瀬戸内海の海賊城跡

古代郡並びに荘園図

古代郡並びに荘園図

瀬戸内海の海賊城分布図

瀬戸内海の海賊城分布図

来島海峡

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能島城跡
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