日時 平成23年1月15日(土)
さぬき市古墳勉強会第19回見学会
見学地
吉野川の中流域(美馬市、吉野川)は古墳時代後期に横穴式石室がたくさん造られました。これらは特徴的な形をしており、東側の忌部山型と西側の段の塚穴型に分けることができます。
忌部山型のみられる山川町は忌部氏の居住地であったといわれています。この場所で忌部氏は麻を植えて大嘗祭に献上していたといわれており、これが麻植郡の由来とされています。
段の塚穴型の見られる地域は佐伯氏の居住地であったといわれています。一族の居住地と石室の種類が一致するかどうかはまだまだ検討課題ではありますが興味深い問題であると思います。
今回は段の塚穴型の見られる横穴式石室を見学していきたいと思います。
徳島県の横穴式石室分布
横穴式石室
大石北谷古墳
(さぬき市)
2基の古墳で北岡東古墳、北岡西古墳と呼ばれています。段の塚穴型の東限になります。東古墳は石室全体が結晶片岩で構築されているのに対して、西古墳は側壁に砂岩が使われています。
全長9.05mの横穴式石室です。石室には砂岩と結晶片岩が使われています。
この古墳の特徴は玄室の奥に石棚が見られる点です。結晶片岩を石室に使用し石棚が見られる古墳は和歌山県にたくさんあります。和歌山の古代氏族は紀国造ですが、その中には紀伊忌部氏がいるようです。古代氏族の関係の中でこの地域の古墳と和歌山の古墳に何かつながりがあるのかもしれません。
国指定史跡です。通称「段の塚穴」と呼ばれていますが、東の太鼓塚と西の棚塚の2基の古墳からなります。
太鼓塚は全長13.1m、高さ4.25mの横穴式石室で四国最大級の巨石墳です。石材は結晶片岩が使用され、一部砂岩が見られます。奥壁の床から1.5m上には石室が崩れないように梁(はり)が見られます。
棚塚は全長8.65m、高さ2.8mです。棚塚の名前にあるように床から高さ1.2mの部分に棚が見られます。これも石室が崩れないように設置されたと思われます。
昭和26年、太鼓塚から遺物が発見され6世紀末から7世紀に築造されたものとわかりました。
段の塚穴(太鼓塚古墳)
太鼓塚古墳横穴式石室
段の塚穴から約1.5㎞西にあります。従来、立光寺跡と呼ばれていましたが、昭和51年に国指定の史跡になった時に現在名となりました。
昭和42・43年に発掘調査が行われ、東西94m、南北120mの寺域が明らかになりました。塔跡、金堂跡が発見され、法起寺式の伽藍配置であることがわかりました。
郡里廃寺の瓦は段の塚穴から北にいった坊僧窯跡群で焼かれていたと考えられています。段の塚穴は7世紀前半、郡里廃寺は7世紀後半が少し開きはありますが、段の塚穴の残した氏族の氏寺が郡里廃寺であった可能性もあり、今後の検討が期待されます。
なお、さぬき市民にとって無視できないのが、この郡里廃寺の瓦と寒川町極楽寺廃寺の瓦が同じ瓦范で作られているという事実です。瓦に残された傷痕から、この瓦范ははじめ香川県まんのう町の弘安寺跡で使用され、その後に郡里廃寺で使用され、極楽寺廃寺で使用されたことが考えられます。さぬき市と美馬市の寺院に当時深いつながりがあったといえます。寺を創建したのは古代氏族です。郡里廃寺は佐伯氏、極楽寺廃寺は凡直氏です。古代氏族どうしの何らかのつながりを垣間見ることができます。
弘安寺瓦(まんのう町)
郡里廃寺瓦(美馬市)
極楽寺廃寺瓦(さぬき市)
飛鳥寺式
(飛鳥文化)
四天王寺式
(飛鳥文化)
法隆寺式
(飛鳥文化)
薬師寺式
(白鳳文化)
東大寺式
(天平文化)
大安寺式
(天平文化)
法起寺式