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日時 平成19年7月8日(日)

さぬき市古墳勉強会第6回見学会

善通寺市の古墳

見学地




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野田院古墳

野田院古墳

野田院古墳

野田院古墳が造られた時の想像図

野田院古墳が造られた時の
想像図


古墳の形は前方後円墳で全長は44.5mになります。この古墳の面白い所は後円部と前方部で造りの違うことです。後円部はすべて石でできている、いわゆる積石塚ですが、前方部は土を盛ってつくった盛土墳なのです。同じような古墳は他に坂出市の爺ヶ松古墳(じじがまつこふん)で見られます。
 積石は古墳の周辺で採れる安山岩を使用しています。積み方には石垣状に積むという特徴があります。このような積み方は積石塚の多い香川の古墳に多く見られます。興味深いことに同じような積み方が奈良、大阪にもあり、香川の石積技法が伝わったと評価されています。
 古墳の周りには壷がぐるりと1周してお供えされています。この壷は香川の 弥生土器と作りが似ており、地元の土器といえます。もう少し後の時代には埴輪が出現しますが、この古墳の頃はまだ埴輪ではなく、壷を並べていたのです。土器の形から古墳の造られた時代は3世紀の後半、古墳時代前期の中でも古い時期であることがわかります。
野田院古墳は標高405mという非常に高い所に2mも石を積上げて古墳をつくっています。古墳造りに携わった人々はこの山に泊り込んで日夜働いたのでしょうか。当時の古墳築造の風景を想像してみてください。



王墓山古墳

馬上の首長像の装飾品

馬上の首長像の装飾品

香川の前方後円墳の多くは山の上にありますが、この王墓山古墳は平地にあります。全長46mの前方後円墳で昭和57〜58年に発掘調査が行なわれました。
まず、埋葬施設ですが、後円部に南に入り口のある横穴式石室があります。横穴式石室は南の大麻山で採れる扁平な小型の安山岩を使用しており、古墳時代前期・中期に多く造られた竪穴式石室と似た構造になっています。石室の奥の部屋(玄室げんしつ)には板状の石で遺体安置施設をつくっています。これを石屋形(いしやかた)といいます。石屋形は最近同じ善通寺市の菊塚古墳で発見されましたが、香川県では珍しく、一般的に熊本県で多くみられます。
石室の中から出土したお供え物(=副葬品ふくそうひん)は大量の須恵器や馬具、武具、刀、首飾り・耳飾りの装飾品などがあります。中でも金銅製冠帽(こんどうせいかんぼう)は珍しく、政治的・社会的地位を示す象徴です。また、刀のうち1本には銀象嵌(ぎんぞうがん)の模様のあることも判明しました。 象嵌とは金属の表面に鏨(たがね)で切り込みをつけ、別の金属をはめ込む技法です。このような刀は優秀な渡来工人が大和政権下で製作を担当し、大和政権から地方の首長に送られたものと考えられています。
王墓山古墳の造られた時代は出土した遺物から6世紀前半(古墳時代後期前半)であり、この時代は大朝廷に政権交代があったとされる継体天皇の時代で、また、九州では筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)井(いわい)の反乱がおきた頃になります。


宮が尾古墳

7世紀初頭、聖徳太子の活躍していた頃に造られた古墳です。直径22mの円墳で南向きに横穴式石室があります。この古墳が注目されるのは石室内に壁画があることです。壁画のある古墳を装飾古墳(そうしょくこふん)といいますが北部九州に多くみられます。装飾方法は彫刻、線刻、彩色がありますが、宮が尾古墳の場合は線刻によって描かれています。県内で装飾古墳は他に坂出市サギノクチ古墳や善通寺市岡古墳でみられます。宮が尾古墳では人物、舟、馬に乗った人物などが描かれています。

宮が尾古墳横穴式石室玄室奥壁壁画群実測図

横穴式石室玄室奥壁壁画群実測図
宮が尾古墳

玄室西壁武人画実測図

玄室西壁武人画実測図
新編 香川叢書
(考古篇)から



玄室東壁不明線刻画実測図

不明線刻画実測図
玄室東壁


磨臼山古墳石棺

磨臼山古墳石棺

磨臼山古墳石棺

磨臼山古墳は磨臼山の尾根上にある全長50mの前方後円墳です。後円部から刳抜式石棺が発見され、現在市民会館に展示されています。石棺は長さ2.4m、幅0.7〜0.8mで頭を安置させる箇所に石枕をつくっています。石枕の両耳の位置には勾玉の耳飾りを浮き彫りしています。この石棺は高松市国分寺町の鷲の山(わしのやま)の安山岩で作られています。鷲の山の安山岩は鷲の山石と呼ばれており、県内では高松市三谷石舟塚古墳、高松市石船塚古墳、高松市国分寺町石舟神社、高松市伝舟岡山古墳、丸亀市快天山古墳の石棺があります。時代は古墳時代前期後半でちょうど火山で石棺が制作されていた頃と重なります。形も快天山古墳の石棺と赤山古墳の石棺は似ており、それぞれの地域に石工がいたのか、同じ石工が場所を移動して製作したのか興味深いところです。磨臼山古墳の石棺は形の特徴から赤山古墳の石棺よりは新しく、岩崎山4号墳の石棺よりは古いものといえます。


まとめ

 今回見学した地域は北に五岳(火上山、中山、我拝師山、筆の山、香色山)、南に大麻山で挟まれた谷の周辺にある古墳群です。前方後円墳は東から磨臼山古墳、鶴が峰4号墳、丸山古墳、王墓山古墳、菊塚古墳、野田院古墳があり、大多数が有岡古墳群として国指定史跡になっています。香川県の前方後円墳は多くが古墳時代前期に造られ、古墳時代中期の富田茶臼山古墳の頃にはほとんど見られなくなってしまいますが、有岡古墳群では古墳時代後期も大型の前方後円墳が造られている注目される地域です。この地域の特殊性は弥生時代から既に見られ、周辺の山からは平形銅剣、細形銅剣、中細形銅剣、銅鐸など様々な青銅器が数多く見つかっています。この場所が聖地であったことを想像させます。
ところで奈良時代、この地域で空海が生まれます。空海は佐伯氏の一族であり、空海の生まれる前から伝導寺(仲村廃寺)などの古代寺院が見られ、佐伯氏の氏寺であったと考えられます。佐伯氏がどの時代からこの地域に住みついたのか明らかではありませんが、王墓山古墳や菊塚古墳は空海が生まれる150年前に造られた古墳であり、もしかすると佐伯氏の先祖の墓であった可能性もあります。
 このように香川の代表的な郷土人である空海のふるさとであるこの地の古墳を解明することは興味深いことといえます。

善通寺市の遺跡・古墳一覧




讃岐中・西部地域主要古墳編年表

讃岐中・西部地域主要古墳編年表

讃岐東部地域主要古墳編年表


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