場所:さぬき市鴨庄4005       TEL:087-894-0829
寺号は潮見山寂静院光蓮寺      真言宗  もと西方寺の末庵     
本尊は薬師如来              脇仏 阿弥陀如来

創建は脇仏阿弥陀如来立像と、境内大墓場にある正和3年(1314)の白粉石の石標及び豊島石の台座等から、鎌倉時代末期と史家は推定している。 古い文献では岡山や徳島から多くの写経僧が訪れたとあるので昔は相当立派な寺院であったようである。
現在の堂宇は昭和30年6月の改築である。


 も く ぞ う   あ  み  だ  にょ ら い  りゅう ぞ う
(市・有形文化財)

像高94㎝、檜材(ひのきざい)、寄木造りの立像である。
脇仏である阿弥陀如来は市指定有形文化財で鎌倉時代末期の地方仏師の手による。
ふくよかな頬などなかなか端正な姿をしている。

      



場所:さぬき市鴨庄2232       TEL:087-895-1050

東光山安養院と号し、真言宗別格本山

本尊阿弥陀如来・脇士不動明王はともに恵心僧都の作である。

天長6年(829年)宝蔵院住職正観の開基と伝えられている。
これまでこの寺は鴨部中筋六番にあったのを貞享4年(1687年)7月に現在のところに移して今日に至っている。
本堂阿弥陀堂は元文4年(1739年)3月住職寂静の時の建築で典型的な三間堂である。



 寛永17年(1640)7月、高松藩生駒家四代高俊はお家騒動により、出羽1万石に左遷された。藩士遠藤五郎左衛門は武士の望みを捨てて、鴨庄横井の現在西方寺のある土地に居を構え、農耕の人となった。当時丸山を中心にして、横井、大井一帯は萱・葭が茂った渕であった。
 五郎左衛門は、長い歳月をかけて鴨部川の氾濫を防ぐため「そうめんや土手」を築くと共に、湿地帯の横井を豊かな穀倉地帯に開発した。横井地区の農民が、五郎左衛門を神として祀ったのが遠藤大明神で、毎年9月15日土地の人たちによって祭礼が行われ、280年にわたってその徳を偲んでいる。




場所 : さぬき市鴨庄527
真言宗善通寺派    本尊 大日如来

弘化年間(1844-47)慈円法如の創立で、弘化庵と称した。
昭和初期に古義真言宗弘化説教場と改称し、昭和12年頃説教場を教会と改め、更に昭和23年2月、弘恩寺と改称して現在に至る。