か べ    じ ん じゃ

 祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)、息長足比売尊(おきながたらしひめのみこと)である。
 社伝によれば、天長6年(829)に鴨部郷の産土神(うぶすながみ)として勧請(かんじょう)せられ、鴨部八幡宮と称えた。
 天正11年(1583)4月讃岐に侵攻した土佐・長宗我部勢の兵火によって炎上したが、文禄4年(1595)に寒川右近光重が再興した。そのとき従来南向きであった本殿を東向きに改築した。ところがその後、郷内に悪疫が流行し、氏子も栄えないため、この神社を崇敬していた生駒藩生駒隼人が、寛永元年(1624)高木刑部を本社再建奉行とし、再び本殿を南向きに復原した。現在の社殿は、天保10年(1839)9月の再建である。
 主な建造物は本殿、幣殿、拝殿、随身門、神輿庫、御馬堂。境内面積は12830㎡である。


し た ば り   じ ん じゃ

祭神  天下春命(あめのしたはるのみこと)<開拓の神>

由緒  延喜式神名帳に讃岐の国24社の内の1社とある
神名帳には「讃岐国寒川郡志太張神社」とその名を連ねていて、早くから国司より祈念祭に幣帛を奉る神社であった。

創始  社伝によれば天長元年(824)6月、弘法大師が石田から移した極楽寺を談義所に、長福寺を馬次に、来覚寺を田中に建立したとき、ここにあった志太張神社を三ヶ寺の総鎮守として祀ったとある。


こ し き   じ ん じゃ


 その昔、鴨部の庄が御所に指定されたとき、「一夜の内に隆起し鴨部の庄を狭からしめた」と古記に書かれて、ミニ富士といわれる甑山の中腹にある。

 祭神は奥津彦命(おきつひこのみこと)と奥津姫命でかまどの神様である。  
 鴨部神社境外末社