恒武天皇の頃、山城淀の津の白杖童子が仏のお告げによって志度寺本堂を造営し、その落慶供養に、志度・長行の猟師当願がお参りしている時、南の山でこだました一発の銃声に、ふと起こした殺生心から、たちまち腰から下半身が蛇身になって動けなくなり、弟暮当に連れられて、幸田の池に入り更に大きくなり満濃の池へ、最後は高松・香西沖の大槌・小槌の海に入った物語りの、当願大竜神を祀る暮当当願大明神である。里人は龍神として旱魃の時酒を供えて雨乞いをする習慣がある。

    風化した石の祠が、遠い昔を偲ばせる。石祠の前の石塔には、表に「当願屋敷為法界平等利益建之、元禄十丁丑年八月十有七日」、裏に「施主寒川金兵衛」と刻んである。