静御前ゆかりの地


§鼓渕


昭和初期頃まで、この地は清水の湧き出る泉があり、渕となっていたので鼓渕といわれていた。 文治4年3月長尾寺で得度した静御前は、源義経から形見として贈られた名器の鼓を、煩悩を断ち切る証として、この渕に投げ捨てた。
それから4年後に宥心尼(静)は24才で生涯を閉じた。


§磯野禅師(磯禅尼)の墓


静御前の母である磯野禅師は、東かがわ市大内町丹生小磯の生まれで、美しい女性であった。 鎌倉から京へ帰った娘の静は、旅の疲れとストレスから病に臥したので母磯野は娘を看病したが、文治3年疲れから郷愁を感じて故郷小磯に帰った。 静の病状は回復しないので、神仏に頼って長尾寺に来た。ここで得度した。長尾寺からの帰りに、井戸川近くで磯野禅師は老衰でこの地で死亡した、69才。
(東かがわ市大内町史には、彼女は小磯の長町家に生まれたとされている。生家があったとされる畑には標柱がある)


§薬師庵


三木町との境にある鍛冶池の傍に、薬師庵を建てて、静は母磯野禅師と侍女琴路と共にここに住み、日夜念仏を友としていた。 母の死を聞いた静は、病状を更に悪化させて建久3年3月24日に24才の若さで死亡した。7日後には琴路も鍛冶池に入水して果てた。
庵のすぐ横に静と琴路の2人の墓が仲良く立っている。

静の墓 琴路の墓