名 称: 補陀落山観音院長尾寺 | 宗 派: 天台宗延暦寺山門派 | 本 尊: 聖観音菩薩 | ||
所在地: さぬき市長尾西653 | 四国八十八ヶ所:第87番札所 |
長尾寺縁起によると、739年(天平11年)僧行基がこの地で霊感を得た道端の楊柳(柳の木)で聖観音像を刻み、堂宇を建立して安置したのがはじまりといわれている。
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本堂と大師堂 | 仁王門 | 樹齢800年の大楠木 |
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経を書いて供養し埋めて、その上に建てた幢で、中国では唐代に始まり、わが国では鎌倉時代頃から各地で建立されるようになった。長尾寺の経幢は仁王門前に東西2基ある。凝灰岩で造られており、経年変化が進み、表面の字が読みづらくなっている。西側のものは弘安六年(1283)七月で、東側のものは弘安九年(1286)五月と刻んである。元寇の役の供養に建立されたものと考察される。 |
西 側 | 東 側 |
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寺の敷地の東側にある門で東門といわれており、志度寺から歩き遍路の人にとって長尾寺に入る最短の門である。 |
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東 門 |
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御成門は藩主のお成りのときのみ開く門である。1642年、松平頼重が讃岐に封じられてから、長尾寺は天台宗へ改宗した。これは僧天海の頼みによるといわれている。1689年には松平頼常より殺生禁断の制令をもらい、寺領5万石の寄進をうけ、1694年本堂・阿弥陀堂・仁王門・御成門が完成した。
御成門
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1月2日に、三味線のお囃子にあわせて威勢よく、3本杵で一石余の餅をつく。ついた餅は小餅(福餅)と大鏡餅に成形する。 このときついた大鏡餅(三宝を含めて約150Kg)は、1月7日に県内外の力自慢が集まり、大鏡餅を抱えて運搬できる距離を競う。ともに長尾寺の風物詩になっている。 |
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(2008.1.2 撮影) | 三味線を奏でる可愛い児童 (2007.1.2 撮影) |
源義経の側室、静御前がこの寺で得度し宥心尼となった。剃髪した髪を埋めた塚が残っている。静は母の磯野禅尼と共にこの近くの薬師庵(鍛冶池のとなり)に住んだ。 ![]() |
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