伝説として近くにある白山が火を噴いた時ここに逃げ込んだ話が残っているところから、早くから開口していたらしい。 後円部中央の石室はV字形をしており天井石は16枚、昭和59年もう一つ石室の発見があり内部は多量の朱が認められた。現在までこの古墳からの出土品の確認はされていない。