細川林谷は、江戸時代後期、現在のさぬき市寒川町石田東森広に生まれ、篆刻のみならず詩書画の分野においても、その才を発揮しました。
特に、篆刻においては、江戸で一、二を争う篆刻家であり、賴山陽をはじめ多くの文人たちが、林谷の『印』を絶賛しました。
また、生涯“竹”を愛し、様々な竹を写した墨竹図からも、竹に寄せる強い想いを感じとることができます。
さらに、探奇の志を有し、全国各地を遊歴し、感性豊かで夢を感じさせる作品を多く残しています。
 2020(令和2)年、細川林谷の兄(太左衛門)の子孫である細川勝博氏と細川周作氏より、林谷を顕彰するとともに、
さぬき市の芸術文化の振興に役立ててほしいという篤志により、当市に御寄附をいただき、その御寄附を基に、
細川林谷記念館の整備を進め、2024(令和6)年秋に開館する運びとなりました。 

 
 利用案内
 場    所:     〒769-2321
 香川県さぬき市寒川町石田東甲931番地
 電    話:  (0879)43-0655 (10月1日より)
 E - M a i l :  sangawa_21th@yahoo.co.jp (21世紀館さんがわと共用)
 開館時間:  午前9時~午後5時
 ご入館は閉館時間の30分前までにお願いします。
 (催しものの開始時刻及び、最終閉館時刻は主催者により変動いたします。)
 休 館 日:  毎週月曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
 詳    細:  『使用の手引きをご覧ください。
    
 
館内平面図
   
 施 設 名 称   広 さ   高 さ
 林谷展示館   9.6m×12.1m   3.0m 
 市民ギャラリー    9.6m×19.1m  3.0m
(1部4.0m)
  講 座 室   7.0m×9.0m   2.8m
 
 
 文 人
 
▲自然の中に温かみもあり、
人間味あふれる作品が多いです。
 

文人とは、中国で発生した人間類型のひとつ。古くは学問を修め、文章をよくする人の意。

 およそ唐代(601-907)においては、儒学的教養を身につけているだけでなく、教養に基づく詩文・芸術の才があり、士大夫(儒学的教養をもとに政治に携わる官僚)であることを前提としました。

 文人が製作する絵画を文人画といい、山水のほか四君子などの植物など画題も豊富です。文人たちは脱俗を利用とする傾向が強く、隠棲をイメージした詩画も多く見られます。

 

 細川林谷が描く文人画の多くは、漢詩、絵画、そして、篆刻の3つで構成されます。また、林谷が若い頃より学んでいた篆刻と詩書画からは、林谷ならではの個性的な作風を見ることができます。どことなく味わいがあるその飄々とした筆致で描かれた絵画からも、彼の人柄を感じることができます。

   
 篆 刻
  
 篆刻とは、印章(印鑑のこと)の製作を意味する言葉で、特に彫刻された文字や記号の鑑賞を目的として製作された、美術工芸的要素の強い印章を指して呼びます。 細川林谷は、多くの一流の文人たちから篆刻の製作を依頼されました。その篆刻もまた林谷自身の人柄同様に個性的な作風となっています。  
 
         
   
   
旅 
 
 
  



 細川林谷を語る上で「旅」は外せません。若い頃より、「探奇の志」=(各地にある絶景奇景を探したい気持ち)があり、諸国を旅して、各地の風景を描き続けました。しかし、故郷のことを忘れることはなく、讃岐に帰ってきたときの作品も残り、地元の友との交流の様子も残されています。     
 

▲背景に屋島、五剣山を望み、手前の瀬戸内海に船に乗った林谷がいます。
 
   
▲馬に乗った林谷。動物、植物、自然と軽快な筆使いで描き、その絵には、漢詩と篆刻。まるで林谷がたどった旅日記を一緒に巡る気持ちになります。
   


 細川林谷の作品には、朱い衣を着た林谷自身を描き込んでいます。詩を読み、見た風景を描き、旅をした自分自身を描いた林谷。今のような情報がない時代、旅先で出会った一瞬の風景を残したい気持ちが作品からも伝わってきます



                                                  
 
 参考文献】堀純子「旅する文人 細川林谷 -その書画と篆刻-」展解説シート(高松市歴史資料館、2009年) 久保佐知恵「細川林谷-常人に非ざる人」(千葉市美術館「百花繚乱列島-江戸諸国絵師めぐり-」
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