津田・鶴羽の文化財

実相寺奉納模型和船県指定文化財民俗文化財(有形)
昭和52年7月26日指定 津田町寺町実相寺所有

 実相寺じっそうじ奉納模型和船わせん(県指定有形民俗文化財)は、弁財船(べざいせん)と呼ばれる廻船で全長が2.5mある。 船大工により精巧につくられたもので、製作年代は享保期(1716〜1735)と考えられ、船の安全を祈願してつくられたと言われている。実物の約10分の1の大きさ、つまり、実物は25mと考えられ、その実物の大きさは、630石積み(約90トン)で江戸時代中期の弁財船の典型的なものだと言われている。
 伝承では、津田で廻船業を営んでいた板屋が弁財船で砂糖を大坂に送る途中に嵐に会った際、観音堂の観音様に無事を祈ると、事なきを得たので観音堂に奉納したと言われている。そして、実相寺の飛地(とびち)境内である観音堂に吊り下げられていたが、貴重なものであることから県の指定文化財になり、高松市亀水町にある瀬戸内海歴史民俗資料館で現在も展示されている。
 現代のような交通網が発達していなかった時代、瀬戸内海を越えて大量の荷物を運ぶには、船によって荷物を運んでいた。江戸時代になり西廻り航路が整備され、「天下の台所」と呼ばれ経済の中心であった大坂へ様々な荷物を運ぶ廻船が活躍するようになった。 当時、津田の港からも多くの船が出港していたようで、天保9年(1838)の津田の様子を記したもの(参照『再訂津田町史』)によると、津田から商船が44艘出ていたと記されている。讃岐三白の一つであった砂糖は当時の讃岐の主力商品であり、それを大坂に運び、また大坂で様々な商品を買付けて津田に戻っていたのかもしれない。
 



木造如意輪観音坐像市指定文化財有形文化財(彫刻)

平成元年指定 津田町鶴羽中町 淨土寺所有

 像高58.0センチの檜材寄木造り、当時の本尊で、如意輪観音が本尊として祀られることは県下では極めて珍しいといわれている。
 髻を高く結い、天冠台をつけ、ここに金属製の王冠(後補)をつける。白毫珠(木製)を入れ、眼は彫眼で、耳朶環、一筋髪を巻く、三道を刻む。条帛、天衣を懸け、裳をつける。
 右第一手は肘を、立てた右膝の上にのせ、五指を曲げて頬にあてる。 第二種は肘を曲げ、掌を上にし宝珠を捧ぐ、第三種は、五指を曲げて斜め下に伸ばす。左第一手は、五指を開き、掌蓮台上にあてる。第二種は五指を曲げ、蓮華を執。第三種は肘を曲げ五指を伸ばした掌上に宝輪を載せる。
 各腕にそれぞれ臂釧、腕釧を刻む。右腕を立て、両足裏を軽く合わせる、いわゆる輪王座をもって蓮台上に座す。鎌倉時代の作
木造不動明王坐像市指定文化財有形文化財(彫刻)

平成元年指定 津田町鶴羽中町 淨土寺所有


像高91.0センチの檜材寄木造り、本体、両耳前より前後矧ぎ、両肩矧ぎ、その他の木寄せは不明。当寺護摩堂の本尊として祀られ、金属製の宝剣の柄の部分に「洛陽住文殊包重」の刻名がある。
頭上に蓮華を載き、頭髪は巻毛、弁髪を束ねて左肩に垂らす。耳朶環をなし、首に三道を刻む。額に水波様の皺三本を刻み、眉根を寄せ、右眼を開き、左眼は眇めた天地眼をなし、右下牙で下唇を噛む。前頭部に花模様の宝冠をつける。右手は臂を曲げて横に張り、掌を上に向け、五指を曲げて羂索を執る。両腕に腕釧、臂釧をつける。
 左肩より条帛を懸け、裳を着け、右足を上に岩座上に結跏跌座する。  鎌倉時代の作
 


絹本著色仏涅槃図市指定文化財有形文化財(絵画)

平成元年指定 津田町鶴わ鶴羽中町 淨土寺所有


この仏涅槃図は、やや粗目の絵絹に描かれたもので、画面中央の宝台上に釈迦が、右手を手枕にし、右脇を下にして、頭北面西に横臥している。<BR>
 釈迦の上辺には、左方より釈迦の母摩耶夫人の一行が<RUBY><RB>兜卒天</RB><RT>とそつてん</RT></RUBY>より雲に乗って来飛している。
雲足を長く曳き、急いでくるさまを表している。釈迦の周囲には、諸菩薩、比丘(びく)たちが、悲嘆にくれ、下辺には多くの鳥獣虫類たちが参集し、嘆くさまに描かれている。
釈迦の肉身部は黄土色で、衣は朱地に金泥線をもって一面に模様を描ている。動物たちの数はやや多くなっており、そのうち獅子や象がやや大きく描かれ、沙羅樹の多くは宝台より前に描かれていない。
釈迦の背後、沙羅樹の間から雲が涌き上がり、その向こうにわずかながら跋堤河(ばつだいが)の川波がみえる。室町時代中期の作と思われる。</FONT>&nbsp;</SPAN>この仏涅槃図は、やや粗目の絵絹に描かれたもので、画面中央の宝台上に釈迦が、右手を手枕にし、右脇を下にして、頭北面西に横臥している。
 釈迦の上辺には、左方より釈迦の母摩耶夫人の一行が兜卒天とそつてんより雲に乗って来飛している。 雲足を長く曳き、急いでくるさまを表している。釈迦の周囲には、諸菩薩、比丘(びく)たちが、悲嘆にくれ、下辺には多くの鳥獣虫類たちが参集し、嘆くさまに描かれている。 釈迦の肉身部は黄土色で、衣は朱地に金泥線をもって一面に模様を描ている。動物たちの数はやや多くなっており、そのうち獅子や象がやや大きく描かれ、沙羅樹の多くは宝台より前に描かれていない。 釈迦の背後、沙羅樹の間から雲が涌き上がり、その向こうにわずかながら跋堤河(ばつだいが)の川波がみえる。室町時代中期の作と思われる。