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日時 平成20年3月1日(土)

さぬき市古墳勉強会第11回見学会

一の瀬古墳群(大川町)

群集墳 奈良県新沢千塚古墳航空図

群集墳 奈良県新沢千塚古墳航空図

一の瀬古墳群

南川に向う谷の西側の山に10基以上の古墳があります。どの古墳も円墳で直径10mぐらいの小型です。埋葬施設(まいそうしせつ)は多くの古墳が破壊され、石材が持ち去られています。庭石などに使ったのでしょう。破壊された横穴式石室の石材が散乱している所もあり無惨な状態です。しかし、幸か不幸か掘りおこされた穴はそのままの状態で窪んでおり、窪みの形から多くが横穴式石室であったことが推測でき、どちらの方角に入口があったかわかります。1号墳、9号墳は石室が残存しており、南向きに入口があります。
 このようにたくさんの古墳が集中してみられるのを群集墳(ぐんしゅうふん)といいます。さぬき市内では長尾地区の前山古墳群や大石古墳群、寒川地区では蓑神古墳群や極楽寺古墳群などがあります。大川町は横穴式石室の古墳があまり見られませんが、この一の瀬古墳にはたくさん見られます。時代は6世紀後半から7世紀の日本史でいえば聖徳太子の活躍した頃です。なぜ、この地に群集墳が造られたのでしょう。谷からは爛川(ただれがわ)が平野に向って流れていますが、河川と何か関係があるのでしょうか。古墳のある場所から北の平野に下ると古代の駅、松本駅の推測される地域があります。この地域には同じく古代の下り松廃寺がありました。これらは古墳より後の時代になりまずか、何か関係があるのでしょうか。様々な想像をしてみてください。

一の瀬古墳群位置図

一の瀬古墳群位置図

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