大窪寺



名  称: 医王山遍照光院大窪寺 宗  派: 真言宗大覚寺派 本  尊: 薬師如来
所在地: 香川県さぬき市多和87-19 四国八十八ヶ所:第88番札所

717年僧行基が矢筈山の山腹に堂を建てたのがはじまりとされている。当初女人禁制であったが、後に女性登山が許され女人高野と呼ばれた。
二天門大窪寺本堂仁王門

四国霊場八十八番の結願所である大窪寺おおくぼじ、ここから約880m登った大きな窪みに大窪寺奥の院信仰遺跡がある。 背後には、その名も悩ましい女体山にょたいさんが望まれる。唐から帰朝した空海は、この奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうを修め、大きな窪みの側に堂宇を建てて、自分で薬師如来を刻み本尊とした。 この奥の院の岩窪には阿弥陀如来が祀ってあり、周辺の岩壁には梵字が彫られている。また空海が独鈷とっこで岩の下を掘ると湧き水が出たので"独鈷水"とも"杖泉"ともいわれている。

奥の院


薬師如来像(本尊)

空海くうかいが自ら薬師如来像を刻んで安置したと伝えられているが、近年修復するときに調査した結果は、カヤの木の一木作りで、左手に法螺貝をもった珍しいもので、飛鳥時代後期と共通する要素が認められた。身に纏っている衣には乾漆が施されており天平時代の作品と似た要素があった。これらのことから薬師如来像は地元讃岐の仏師が制作したと判断される。

薬師如来坐像


柴灯大護摩供養

柴灯大護摩供養さいとうおおごまくようは、毎年春分の日と8月20日に、山伏修験者によって境内で護摩を盛大に焚く。綱を張った四角形の結界の中心に大護摩が設置されて、ほら貝を鳴らし般若心経を唱える。800年以上の伝統がある行事で、家内安全、無病息災を祈願する。護摩壇は井の字に積み重ねてあり、これは人の罪業が井戸のように深いことを表現している。大護摩の後で火渡り式が行われる。

大護摩(2006.3.21撮影) 井に組んだ大護摩(2006.3.21撮影)