真部家古文書


さぬき市多和助光の真部まなべ家は代々政所まんどころ(庄屋)であった。 昭和40年代に、近世初期以後のいろいろな出来事が記録されている「古文書」が出てきた。 古の時代考証、風俗習慣、司法・行政等の仕組みを解明する上で大変貴重な資料であり、当時の長尾町教育委員会は、非常に注目したようで保存、解読に全霊を打ち込んだと想像できる。
現在、実物は真部家同族会に引き継がれており、桐の箱に収納され金庫に大切に保管されている。 長尾町教育委員会(現さぬき市教育委員会)は、実物を整理して、コピー製本(50冊に分冊)とマイクロフィルムでバックアップしており、今後の解読や研究調査に支障をきたさないような対策をとっている。 コピー製本およびマイクロフィルムは、さぬき市前山の"前山おへんろ交流サロン"に収蔵されており、開館時間内であればいつでも閲覧できる。


マイクロフィルム化された古文書 全50冊のコピー古文書 コピー古文書

コピー製本の 1 〜 41冊が真部家文書(大西)で、42 〜 50冊が真部家文書(広丸)となっている。 大西おおにし広丸ひろまるは各々真部家の屋号である。
古文書の中で目に付いたものは、1冊目に寛永17年の国境争関係絵図や鉄砲所持許可書のようなものがある。 2冊めには寒河(川)郡奥山切支丹御改帳、3冊目には寛永5年の十一山免定めんさだめ書や正保4年の奥山村免定書がある。


寛永17年の国境争関係絵図 奥山切支丹御改帳 奥山村免定書

28冊めには、文久2年の往来手形があり、ここには大窪寺が関所の通行許可願い、旅の目的が四国巡拝であることや代々真言宗徒に間違いないなどの認証をしている。 往来手形は、旅行許可と身分証明を兼ねたもので現代のパスポートのような書類である。一般庶民には檀那寺や庄屋が、藩士には藩がこれを発行した。

               往来手形之事
松平讃岐守殿御領分寒川郡奥山村
     一  男三人             虎右衛門
                         源  吉
                         千  蔵
     一  女三人             こ  と
                         は  な
                         ふ  じ
右之者心願に依り此度四国順拝に罷出申候 宗旨之義は代々真言宗にて拙寺檀那に紛れ御座無く候間、所々御関所相違無く御通し下さるべく候 尤も行暮候節は止宿など仰付けられ下さるべく候 若し又何方に於て病死等仕候とも国元へ御付届に及び申さず候 其処御作法を以って御取埋め下さるべく候 後日の為往来手形一札仍て件の如し
  文久二戌年二月四日
                          同国同郡奥山村
                                大窪寺 印
国々御関所衆中
村々御庄屋衆中     
文久2年、四国遍路の往来手形

・種 別:市指定有形文化財(古文書)
・所在地:さぬき市長尾東3187