極楽寺


名 称:紫雲山宝蔵院極楽寺  宗 派:真言宗大覚寺派 本 尊:薬師如来
所在地:さぬき市長尾東1194


草創の地は、さぬき市石田東であり、白鳳時代前期(7世紀後半)に創建されたと推定される。回廊の礎石から四天王寺式伽藍配置とみられる。その後、鴨部談議所へ移転、更に長尾東に移転した。現在地の長尾東ですでに660年余になる。大門の仁王像は江戸時代初期に当時の住職(桂洞法印)が設置した石造のもので、非常に珍しく貴重な存在である。

極楽寺の大門 極楽寺の本堂(金堂)




絹本著色両界(両部)曼荼羅

重要文化財(絵画)

絹本著色両界けんぽんちゃくしょくりょうかい(両部)曼荼羅まんだらは、密教に伝わる神聖な絵画で、主尊に多数の菩薩等が従う群像表現をしている。密教の世界観は、宇宙の総ては大日如来のあらわれで、胎蔵界たいぞうかい金剛界こんごうかいの二つの世界像で構成される。この世界像を絵図で示している。胎蔵界曼荼羅は大日経が説く世界観を画像で現しており、金剛界曼荼羅は金剛頂経が説く世界観を具現している。

金剛界曼荼羅図 胎蔵界曼荼羅図


木造薬師如来立像

重要文化財(彫刻)

宝蔵院古暦記によると、鴨部東山にあった極楽寺の本尊として安置されていたが、長尾東に極楽寺が移転したときに持込まれた。桧材寄木造りの等身大像で、平安時代のものである。面相は穏やかに太って重々しい感じの体を、彫りの浅いすらりとした衣紋の薄衣を纏って、全体に優雅に仕上げている。


木造薬師如来坐像

県指定有形文化財(彫刻)

この仏像は鎌倉時代の作で、石田八幡の別当寺「小倉寺」の本尊であった。明治2年の神仏分離により小倉寺が廃寺になったので、本尊薬師如来、不動尊、毘沙門天とともに極楽寺へ移された。面相は温和で、彫り目に長い眉毛、軽く閉じた唇など静寂そのもの。もとは漆箔を施していたが、錆びたたきをして今は漆だけになっている。


極楽寺の鉄錫杖

市指定有形文化財(考古資料)

明治9年、石田東の極楽寺跡を開墾中の農夫が鉄錫杖てつしゃくじょうを掘出した。錫杖は比丘十八物の一つであり、僧が山野を遊行するときに毒蛇や害虫から身を守ったり、門前で来訪を告げたりするのに使われた。錫杖の材質は一般的には銅鋳造であるが、鍛造たんぞう品の鉄造りもある。錫杖は千手観音、不空絹索観音あるいは地蔵菩薩の持物でもある。


極楽寺の唐花双鸞八花鏡

市指定有形文化財(考古資料)

鉄錫杖が発掘された同じ場所(石田東の極楽寺跡)で、明治18年農耕中に唐花双鸞八花鏡とうかそうらんはっかきょうが出土した。この銅鏡は興福寺金堂の下から出土したものと同型の唐式鏡で奈良時代に用いられた。用途は仏堂内部を荘厳にしたり、舎利具、鎮壇具として基壇きだんに埋めるなどにした。

興福寺金堂出土品 極楽寺跡出土品