讃岐志渡焼門家窯創窯の背景には、讃岐陶磁の長い伝統がある。古代の讃岐は、わが国でも特に焼きものの盛んな地方であった。奈良時代、借馬秋庭女という女性が中心となって、杯・椀・皿などの土器三千三百個余りを作り上納したことが正倉院の記録に見られるほか、平安時代にも讃岐国として壷・大瓶・鉢・碗など三千三百個余りの焼きものが朝廷に貢納された記録が残っている。

 東讃さぬき市志度町末(旧末村)は古代の製陶地に由来する地名で、この付近には当時の窯跡があり、良質の陶土を産出する。江戸時代元文年間には、志度へ九州筑前の陶工権助によって唐津系の陶技が伝えられて、同地の赤松弥右衛門により志渡焼が始められた。次いで宝暦年間には平賀源内による源内焼が創始された。いわゆる源内焼は中国の交趾焼を模した三彩風の軟陶で、当時、大阪・長崎の店に出しても真の交趾焼と少しも異ならず大いに珍重され名声を博したという。

 その後、これら志渡焼を源流として、讃岐の各地に、富田焼・屋島焼・松山焼・陶浜焼・民山焼・庸八焼・尚八焼・谷屋焼・など多くの焼きものが興ることとなった。今日、地方陶としての讃岐陶磁の特徴づけているものに志渡焼の存在の大なるものがある。

 志渡焼門家窯は、風光美しい入り江のさぬき市小田湾を眼下にする西の谷に陶房を構えてのひたむきな作陶であります。どうか各界愛陶家のあたたかいご指導ご愛顧を願ってやみません。

(東洋陶磁学会員 豊田 基 記)