鴨居家の人々

さぬき市歴史民俗資料館 Last Update 2017.06.24

平成28年8月 当資料館にて開催された「古文書からたどる近代教育のあけぼの 明義堂・鴨居家 展」から収録したものです。

明義堂は、学生発布に先立つ明治4年(1871)、鴨居忠次郎が郷土の教育のために私財を投じて創立した公教育機関です。その明義堂で学んだ生徒の一人に、県内初の東大合格・博士号を取得した鴨居武博士もいます。さらに、明義堂の精神を受け継いだ鴨居ミチ氏は、書道を通じて世界的に活躍しました。本展では、鴨居家文書と鴨居家寄贈資料の一端から明義堂の教育理念と鴨居家の果たした役割をたどります。

また、本展を開催するにあたり、資料整理は藤井洋一氏、渡邉寛氏に大変お世話になったことをご紹介させていただくと共に感謝申し上げます。ーさぬき市教育委員会ー

鴨居忠次郎

郷校設立の嘆願書

郷校設立の嘆願書

主な展示物

  • 明義堂創立に伴う古文書資料
  • 本校人名録
  • 藤沢東該・小橋多助 等の書簡等
  • 延喜式全50巻
  • 讃岐国名勝図会など

天保4年(1833)5月29日、冨田西村平三郎の子として出生。 幼名は光、長じて為光、字は大明、滴翠と号し、通称は忠次郎。

18歳の時、兄が死去したので家を継ぐ。家業の傍ら詩文を修め、また造家、器具制作の意匠に秀でた。人となり慈恵の心が厚く、安政4年から30余年間貧窮者に毎年米一升宛ひそかに賑恤していた。氏は高松藩学校講道館の漢学準少助教をしていたが、郷校明義堂の設立興隆に尽くした。

子女5人あり、長子を薫太郎、次男を武、三男を啓三郎あとは女子であったがいずれも逸材であった。 明治36年4月70歳で逝去した。

鴨居 武

明義大扁額

鴨居武博士 直筆書「明義」大扁額

主な展示物

  • 明善塾中の小詩稿
  • 第1高時代の微分・積分学のノート
  • 化学・電気工学等のノート
  • 讃岐学生会雑誌
  • 最新写真術
  • 内閣総理大臣大隈重信からの辞令書
  • 東大総長南原繁氏の書簡
  • 広大教授 猪熊信男の書簡など

元治元年(1864)8月8日、富田西大道の鴨居忠次郎の次男として出生。幼名を茂次郎といった。 幼少の頃は父の創立した明義堂で学び、卒業後も明義堂の助教として生徒の補導に当たり、明治7年頃には石田東村の地蔵小学校の教員となった。

明治10年頃武と改名。向学心強く、明治10年頃から高松の山川塾で約1年間漢学を学び、同14年頃から大阪の藤沢南岳塾で約2年間漢学詩文の教えを受け、さらに洋学を志し、東京の予備校で3年間英語・算数をならったのち、明治19年9月に第一高等中学校へ入学した。ついで、工科大学応用化学科、更に同校大学院を経て同30年には工科大学(東京帝国大学)の助教授となった。

次いで応用電気化学、応用光線化学研究のため米国及びドイツに留学、同41年帰国と同時に東京帝国大学の工科大学教授に任命された。 香川県人初の工学博士の学位を授与された。

大正14年に満60才で退官、従三位勲三等に叙せられた。博士は、日本で最初の電気化学研究者といわれ、特に応用電気化学・写真化学の権威者であり、板硝子、人絹等の製造工業の指導者(日本化学会初代会長・工業化学雑誌の初代編集者)となり、工業発展に貢献した。

昭和35年96才で逝去。 氏の次女ミチは明治36年9月出生で、調和体の有名な書家である。

鴨居ミチ

明治36年9月15日
香川県大川郡大川町富田西2526番地にて出生。
大正10年
東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)附属高等女学校卒業。
大正13年
東京女子高等師範学校図画専修科卒業、その後、書を尾上柴舟に、洋画を岡田三郎助に学ぶ。
昭和23年
戦後新開設の日展第5部に出品入選、その後も引き続き入選19回 昭和52年会友。
昭和25年
天皇陛下四国御巡幸のため開催の行幸展に屏風出品。
昭和33年
高松市立美術館の御力添にて柴舟遺作展を同美術館にて 開催。
昭和35年
父武死去、正三位を拝し宮中より祭神料並びに銀杯を賜る。
昭和39年
高野山開創1150年記念に作品(いろは歌)奉納。
昭和41年
両陛下高松行幸啓に際し作品「君が代」天覧の栄に浴し、後吹上御所に奉納。
昭和45年
日本書道教育学会展にて尾上柴舟賞。
昭和51年
香川県教育委員会より文化功労賞。東京日本書道美術館より文化功労賞。
昭和52年
日米友貯200年記念に際し(書・歌・絵)三者一体に対して新アカデミー賞受賞。 香川県文化功労者として知事より表彰。
昭和54年
勲五等瑞宝章受章。台湾訪問の作品を奉納、歴史博物館長より感謝状
昭和55年
日本かな書道会主催の六曲屏風展に出品。
昭和56年
皇太子同妃両陛下御来高に際し自詠和歌の扇を献上
昭和57年
中国西安の空海記念樹除幕式に参列し、同所の空海資料館に四国4県の代表として「いろは」の額を奉納。
昭和57年
パリより芸術会ナショナルボザール会長賞。
昭和58年
パリ展にて会長賞受賞。パリ展よりボザール特別賞。
昭和59年
パリ展にてフランス芸術大賞。オーストラリア展にて表彰。
昭和60年
四国新聞社より四国新聞文化賞受賞。59年度芸術文化に尽くした人々ということにて中曽根首相より官邸に招待された。オーストラリア展にて賞状を受く。パリ展にて表彰を受く。高野山金剛峯寺に「高野玉川の水」を奉納。
昭和61年
パリ展にて国際芸術大賞。
昭和63年
大川町名誉町民称号記贈呈
平成元年12月29日
御逝去