*源内先生ゆかりの薬草園
 |
平賀源内旧邸の南にあり、源内先生の『物類品隲』にある薬木・薬草を含め百余種を植栽しています。植物毎に、漢名・生薬名・薬用部・効用を記しています。身近にある植物にも効用があることがわかります。 |
薬 草 園 由 来 記
高松藩蔵番の家に生まれた平賀源内は、陶村の三好喜右衛門に本草学(薬学・医術)を学んだといいます。寛延2年(1749)父茂左衛門の逝去によって役を継いだ源内は、しだいに藩内で頭角を表し、本草学の才能を認められていきました。
宝暦2年(1752)長崎に赴いた源内は、広い世界への目を見開かれ、同4年に蔵番退役願いを提出します。同6年江戸に出て当時日本有数の本草学者であった田村藍水(ランスイ)に入門しました。
藍水のもとで本草学に出精した源内は、世界最初の博覧会とも呼ばれる「薬品会」を提唱し、宝暦9年(1759)には主催者となりました。翌月、高松藩から与えられた三人扶持を源内は「学問料」ととらえていたようですが、実質的な再仕官であり、藩主の命で薬種採集を続けることになります。
相模(神奈川県)や紀伊(和歌山県)への採集行のほか、藩内で巴戟天ジュズネを発見するなどの業績を上げ、宝暦10年(1760)には薬坊主格に昇進しました。源内の手で御薬園(栗林公園)の整備も一段と進んだことと思います。
ただし、宝暦11年(1761)に再び高松藩を辞して江戸に戻った源内は、翌12年に第5回目の薬品会を主催し、これは壬午(ジンゴ)の大物産会と呼ばれました。その大物産会の成果を中心に、5回の薬品会を集大成したものが、源内の本草学の主著であるのみならず、当時の本草書の逸品ともなった『物類品隲』(宝暦13年刊)です。本文4巻、図絵1巻、付録1巻の計6巻より成るこの大作は、源内の本草学の質の高さと斬新さを余す所なく物語る記念碑的な著作でありました。中でも付録に記された砂糖製造法は、のちの和三盆に結実する讃岐地方の製糖との深い関わりの歴史に記された第一歩として記憶されます。
昭和54年(1979)、源内先生二百年祭記念に当たり、その偉業を偲ぶため、旧邸の一隅に、ゆかりの薬草園を新設しました。そして平成19年(2007)源内薬草研究会によって、高潮被害の薬草園を再生しました。
|